アメトーークの一人遊び芸人に共感してる。

 

今日、ずっと馬鹿にされてると感じていた友人に、馬鹿にしたような一言を言われて、ずっと溜まってた怒りが止められなくなった。この歩行者天国を渡れば会うっていう手前で、引き返した。そして遠回りで家に帰った。

早起きして、帰ってきても、こんなふうに言われるとは。馬鹿にしてるというか、都合よく人を使うから。

からだの話

初めて月経がきた時から、次に来るまでもとても長い間が空いてたけど、特に気にしていなかった。

中学生から高校に上がるときに乳がんのワクチンを打ちに母に連れられ、自分が生まれた産院に行った。そのときにも月経不順の治療はしなかった。

高校の時に血尿が出てようやく通院することになって、生理不順の様子を見てもらっていた。

東京に出てきて、今住んでいる街で、はじめて産科にかかった。いい先生だった。(初心で何もわかってない私にいろんな検査をさせてお金を取りたいだけだったのかもしれないけど、私はそうして検査しましょうと言ってくれた先生の優しさを信じたいし、嬉しかった。)

月経不順でかかったわけではなかったけれど、初心受付に書いたら検査をすることになった。ストレスや嫌なことから逃れるために、心や体を保とうと、強くなろうとして男性ホルモンが増えるそうだ。そういう病気を多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)というそうだ。真面目すぎる性格の人間がなりやすいということ。

からだの中を見て、卵巣の中にある無数の丸い黒い影が、10個以上あった。月経がこないことが多いから、卵巣も壁も厚みがあった。念のため血液検査をした。

そうか私の体毛が多いのとか、ニキビとかはこのためだったのかな、と、説明を聞いていて腑に落ちるところがあった。でもまあそんなに重大な病気でもないから気にしないでおく。

自分のからだについて知らないことが一個増えたからよかったな。

 

やっぱり

歌を歌うべき人はこの世に絶対にいるんだなと思う。

歌う声と話す声、あんなふうに変わるんだとか、なんか遠い日のことのように思う。大して日は経ってないはずなんだけど。

歌わなくても、言葉だけでもう十分なくらいすごく好きな歌詞があることを、どうしてか言葉に残しておきたくなってしまう。

 

この時期になると

電車の中が防虫剤の匂いがする時がある。

去年しまったコートをクリーニングに出さないのだろうか。次第に鼻が慣れていくのが怖いね。

電車は遅延。月曜日はいつも遅延。わかっててもお腹痛くなるからいつもよりも遅れていく。見えないプレッシャーに見舞われて。

見たことがすべて

良かったよっていう一言もかけられず、心の中で思って終わりにする。そういうこともできるようになったよ。言わないのも大切なのかな。大人になるってそういうことなのかな。いい思い出で終わらせたいから、もう会わないとか、そういうことが大切なんだ。大事にしているからだよ。あなたの作るものが好きだよ。良いと思う。あなたの作るものをずっと見ていたい、聴いていたいから。だから私はあなたからそっと離れて遠くから見ている。最初から遠くから見ていたらよかった。でも見てるだけだったらこんなふうに知ることもなかったんだと思う。だから触れてよかったと思うけど、近づき過ぎて見えなくなってしまった。見えないと、大切なものがわからなくなってしまう。綺麗だから触れられない。考えたら、考えてしまう。触れたくなってしまう。きれいすぎてだめだ。

休みの日

休日二日間、携帯電話を触らなくても特に何も感じなかった。それくらい急な連絡も呼び出しも、今の仕事では無い。正規雇用されていない社会人は、一生こんな感じで働くのだろうか。ただ、祖父母が倒れたとか、そういうことの心配しかしなかった。正社員でも非正規雇用者でも、家族がいれば、家族と繋がっていれば、生きている、大事にできる人間に想いを馳せることができる。思いやることができる。

本当はそういう、ささやかに見えて、とても感謝しなくてはいけないことが日常に多くあるんだろうと思う。そういうことを大事にできる人間でいたい。ずっと。多分、そういうことしかできない。大切な人しか大切にできない、駄目な人間だと思う。大切にすること、思いやること、それを家族にしていくことで、私は自分のことも大事にできる。人間らしくいられるのは、家族がいるから。

私の「家族」というのは、4人だけじゃなく、祖父母なども含む。どちらかといえば、自分の家族よりも、祖父母のことをここ数年は考えている。自分の家族のことは、しばらく前から逃げている。考えているだけで暗い気持ちになったり、苦しくなったりしてしまうから。

自分の家族と、うまく家族が作れなくて、ひどく苦しい思いを若いうちに経験したので、私は自分の家族というものを作りたい。自分の家庭というものを。

愛する人間を支えていく人間になりたい。

支えることが好きだ。一緒にいることでプラスになる人間でいたい。

人と交際した経験がほとんどないから、恋愛はとても難しいものだと思うけど、正直わからないし苦手だけど、今後、私も愛して愛される人間に出会うことができるだろうか。

人生で一番愛していた女性に、自分の存在を全否定されてから、ずっと生きていることが苦しくて、苦しくて、何度もしんでしまいたいと思ったけど、今、22歳まで生きている。私はずっとその女性に愛されたくて、どうしたら愛されるかどうかずっと考えて生きてたけど、もうそう思うのもしんどくなって、しんどくなったのを超えたら、考えることをやめたくなった。

どうせ愛されないから、一度否定された身体も心も、ずっと生きてることが虚しいくらいに、忘れられないから。拳の暴力より、言葉の暴力の方が、私には何倍も効いたから、私は本を読んだり、感じたことを言葉にして、嫌なことを忘れよう、忘れよう、と、今まで生きていた。し、多分これからもそう生きていくと思う。口で言う言葉には言霊があって、声に出すことは良くないって思ってた。だからSNSでずっと、自分が生きていて感じることを書いていた。けれどそれで失った友もいた。だからこうして、日記を作った。携帯電話のメモに書いてたらメモリが足らなくなってしまったから。いつでも手軽に文章がかける。日記はいいものだよ。

自分が愛している人や物には、ずっと振り向いてもらえなくて、だけど愛しているから、愛してしまう。愛することはやめられないから。愛した女性を、ずっと愛しているのも、それも私の我儘でエゴでどうしようもないけど、愛はいつか届くとか、思っていたら届くとか、思っているからこのまま愛を届け続けるつもり。

いつになったら愛されるだろうか。どうでもいいとか言って、一番考えてしまうのはきっとそれ。でも今更愛されても、私はどうせ苦しくなってしまうんだろうな。だからきっと愛されないでこのまま歳をとっていくのが一番いいんだと思う。

とりあえず、寂しさをアルコールと人間に求めることをやめるのが今の私の正すべきところだと思う。それをやめたらだいぶ貯金もできそう。とりあえず明日からも仕事を頑張ってやる。

生きててそれくらいしかできないな。

 

 

amazarashi 日本武道館

今日は会社の先輩に連れていってもらって、amazarashiのライブ。日本武道館

最近銀杏の武道館ライブDVDを観たので会場の中身は想像が容易かったけど、ステージの組み方が4面に客が入るよう真ん中に組んであって、どこに座っていても絶対しっかり観られるようになっていた。すごいと思う。

昨日のライブがあまりに良かったから、今日楽しめるかどうか不安だったけど、中身は全く別物だから、楽しめた。

スマートフォンアプリを起動し、公演中にスマートフォンのフラッシュを連動させるという新しい試みがあり、二階席から見渡す光景は、とても綺麗だった。

amazarashiはそんなに詳しくはないけれど、今年の豊洲PITのライブに連れていってもらって、観てから好きになった。

人が本当に、心やたましいを削って歌う歌は、心に響く。音源よりもライブの方がいいバンドなんて実際そんなにいないけど、amazarashiはとても強くて、観ていると勇気がもらえるというか、歌詞がしっかり視覚から入ってくるライブ演出だから、余計に響く。

心からの叫や歌は、観ていると泣いてしまう。

言葉に傷つけられたから、私にとって、言葉で語りかけてくる曲たちは、とても綺麗で。

自分が傷ついた分を精一杯生きていきたいと思う。良いライブだった。